難病研究や創薬開発の動向

循環器疾患特異的iPS細胞研究は、他の領域に先立ち2010年末頃から相次いで報告されてきました。主な研究としては、循環器疾患特異的iPS細胞の作製と同iPS細胞由来心筋細胞の電気生理学的・細胞生物学的な機能解析が挙げられます。毎日10万回ヒト心臓が収縮と拡張を繰り返すためには、心筋細胞が脱分極と再分極を適切に繰り返し収縮と拡張を行い、電気的・細胞生物学的恒常性を保つ必要があります。電気生理学的恒常性は心筋細胞内のイオン濃度により調節されており、心筋細胞膜に発現する様々なイオンチャネルが重要な役割を果たしています。
遺伝性不整脈疾患の多くは単一遺伝子変異による疾患であり、細胞膜にあるイオンチャネルの異常により生じます。また心不全の原因となる様々な遺伝性心筋症は、様々なサルコメア構成遺伝子の変異によって起こることが知られています。遺伝性不整脈や遺伝性心筋症は心不全や心臓突然死の原因、特に若年心臓死の多くの原因になっています。これらは根本的な治療方法は無く、ある程度の効果が期待される薬物療法と植え込み型除細動器を組み合わせて治療されています。治療方法を開発するためには遺伝子改変マウスなどの動物モデルが汎用されてきましたが、ヒト不整脈疾患や心筋症に適切な動物モデルもありませんでした。疾患特異的iPS細胞を用いることで、これらの疾患発症にかかわる詳細な分子生物学的・電気生理学的な解析と根治薬の開発が可能になるのではないかと期待されています。

不整脈特異的疾患iPS細胞の研究

遺伝性QT延長症候群1型

カリウムチャネルの遺伝子変異(KCNQ1 R190Q)による遺伝性QT延長症候群は、頻拍性不整脈などで突然死を起こすこともある遺伝性の病気です。8歳の遺伝性QT延長症候群1型患者からのiPS細胞を樹立し、機能解析が行われました(New England Journal of Medicine 363, 1397-1409 (2010).)。同iPS細胞から心筋細胞を分化誘導し、電気的活動を記録するとカリウム電流の著明な低下が観察され、イソプロテレノールを用いると活動電位持続時間が延長しました。また、遺伝性QT延長症候群1型の治療目的で用いられる薬剤であるβブロッカーの投与で不整脈の出現が抑制されることが確認されました。本報告と同様の遺伝子変異の機能解析等は過去に報告されており、本報告ではあらたに患者由来iPS細胞からの分化心筋細胞で臨床象を含めた特徴の再現が確認されました。

遺伝性QT延長症候群Ⅱ型

カリウムチャネルの遺伝子変異(KCNH2 A614V)による遺伝性QT延長症候群は、頻拍性不整脈などで突然死を起こすこともある遺伝性の病気です。28歳の遺伝性QT延長症候群2型患者からiPS細胞から分化させた心筋細胞を用いての薬理試験が報告されました(Nature 471, 225-229 (2011).)。過去の報告でカリウムチャネル異常によりカリウム電流の低下を来すことが分かっており、患者由来iPS細胞由来心筋細胞においてもカリウム電流の著明な低下が観察され、心電図上のQT延長に相当する電気的な変化も認められました。続いて、活動電位持続時間の短縮や不整脈の出現を抑制できる薬剤スクリーニングが行われました。カルシウムの細胞内流入が活動電位持続時間や不整脈の出現に関与していることからカルシウムチャネル阻害薬であるニフェジピンを投与したところ、分化心筋細胞において治療効果が確認されました。またカリウムチャネル開口薬であるピナシジルを投与したところ、同様に分化心筋細胞において治療効果が確認されました。

Timothy症候群

カルシウムチャネル(CACNA1C G406R)の遺伝子突然変異によるティモシー症候群は、QT時間延長や不整脈に加えて自閉症や身体の発達に障害を生じていることが報告されています。2症例からiPS細胞を樹立し、心筋細胞へ分化させ表現型が明らかにされました(Nature 471, 230-234 (2011).)。本変異は電位依存性のカルシウムチャネルの不活性化障害を来すことが知られていますが、どのようにQT延長症候群や不整脈をきたすかなどは不明でした。分化心筋細胞から電気的な活動記録をすると、不規則な心筋細胞収縮、過剰なカルシウムの細胞内流入、活動電位持続時間の延長などティモシー症候群の患者で認められる心臓の表現型に一致することが確認されました。またロスコビチンという薬剤はカルシウムチャネルの電位依存性不活性化を増強させることが知られており、ロスコビチンを分化心筋細胞に添加したところ、それらが改善されることが確認されました。同薬剤をそのまま患者に用いることは難しいが、似た作用を有する薬剤の開発などが有益であることが示唆されました。

心筋症特異的iPS細胞の研究

LEOPARD症候群

LEOPARD症候群はSHP2という脱リン酸化酵素をコードしているPTPN11遺伝子異常によって起こる常染色体優性遺伝です。本症候群は多発性黒子、心伝導障害、眼間開離、肺動脈狭窄、外陰部異常、精神遅滞、感音性難聴などを特徴とし、心病変が最も生命予後に影響を与えます。LEOPARD症候群の80%は肥大型心筋症を呈すことが知られています。そこで、LEOPARD症候群患者からiPS細胞を樹立し、同iPS細胞由来心筋細胞が、培養皿上で肥大するかどうかの検証が行われました(Nature 465, 808-812 (2010).)。LEOPARD症候群分化心筋細胞はコントロールと比し肥大していくことが判明し、さらにコントロールにおいては線維芽細胞増殖因子を作用後には速やかにRas-MAPキナーゼ系の活性化が認めらましたが、LEOPARD症候群においてはRas-MAPキナーゼ系の活性化反応性が顕著に低下していました。LEOPARD症候群の原因というのはRas-MAPキナーゼ系の活性化の低下であり、このことがiPS細胞を用いた研究で再現可能であることが確認されました。

肥大型心筋症

一般的な肥大型心筋症も頻度の多い遺伝性心疾患です。その多くにサルコメア遺伝子変異を認め、原因不明の心肥大、拡張障害、心不全、そして突然死を来すこともある疾患です。肥大型心筋症における最も頻度の多い遺伝子変異として知られているβミオシン重鎖(MYH7)に変異を有する(Arg663His)家系よりiPS細胞を作成し、同iPS細胞由来心筋細胞の解析が報告されました(Cell Stem Cell 12, 101-113 (2013).)。肥大型心筋症iPS細胞由来心筋細胞は、心筋細胞肥大や不整脈出現などの点で病態が再現され、細胞内カルシウムの増加が病態出現における中心的役割を担うことが示されまし。さらに薬剤により細胞内カルシウムの増加を抑えることにより、心筋細胞肥大や不整脈出現を抑制することができ、新規薬物開発の手掛かりとなることが示されました。

拡張型心筋症

拡張型心筋症も頻度が多く、予後が悪い遺伝性心筋疾患の一つです。サルコメア構成タンパクの一つであるトロポニンTに変異のある(TNNT R173W)拡張型心筋症患者よりiPS細胞を作成し、その機能解析が報告されました(Science Translational Medicine 4, 130ra147 (2012).)。同報告においては患者特異的iPS細胞由来心筋細胞において細胞内Ca2+濃度の恒常性に異常を認め、収縮能の低下を認めています。また、同細胞においてβブロッカーの投与や、Seraca2a遺伝子の過剰発現により収縮機能の改善が認められました。同報告においては疾患特異的iPS細胞を用いることにより、in vitroにおいて疾患表現形の再現ができ疾患発症機序の解析や薬剤スクリーニングの基盤的技術となりえる可能性が示唆されました。

このページのTOP