早わかり細胞研究

器官培養の挑戦、等張液の発明(1860~80年代)

器官培養は、1860年代始めにルートヴィヒ(Carl Ludwig)が灌流システムを開発し、動物の体外で心臓を生かそうとした研究に起源を発します。1866年、彼はカエルの心臓を血漿中につけて灌流を行うことで、心臓の拍動を記録することに成功し、世界で初めて動物の器官を「体外で活動させる」ことに成功しました。

1878年、フランスのエイエム(Georges Hayem)は、約0.9%の食塩水が血液の代わりになることを発表します。生体と同程度の塩濃度の溶液を用いれば、細胞を急激に収縮および膨張させることなく、形を維持できるという、いわゆる「等張液」の発明でした。

図:カエルの心臓
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その後1882年に、イギリスのリンガー(Sydney Ringer)はこの0.9%食塩水を、Mg2+、K+、Ca2+も含むものに改良し(現在のリンゲル液)、カエルの心臓を数日間生かすことに成功します。エイエムの用いたNa+とCl-だけでなく、他のイオンも用いることでより「生体内の液体」を再現することに成功し、心臓を生きたまま保つことに成功したのです。

しかし、ただ器官をリンゲル液に入れるだけでは、栄養供給ができず、栄養不足でいずれ死んでしまうという欠点がありました。また、ルートヴィヒのように血漿を用いてもなお、器官への完全な栄養供給は不可能であり、長期培養は難しいということがわかりました。(現在でも、心臓や脳、精巣など、器官培養の試みはありますが、長期に(~1ヶ月)培養することは依然難しいことが知られています。)

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