早わかり細胞研究

組織・細胞培養法の確立、成長培地の発明
(1880~1910年代)

1885年、ドイツのルー(Wilhelm Roux)は鶏胚の神経節の一部を摘出し、保温したリンゲル液中で数日間生かすことに成功しました。動物において、器官より小さい構成単位である組織培養への道標を示したのです。

その流れを受け、1907年アメリカのロス・グランビル・ハリソン(Ross Granville Harrison)はカエルの凝固リンパ球を加えたリンゲル液でカエルの神経組織を数週間に渡って維持し、神経突起の成長を観察することに成功しました。ハリソンによって、初めて、栄養を供給しつつ組織を維持し、細胞の成長が動物の体外で確認できたのです。これが、組織培養、及び細胞培養の始まりでした。また、彼の考案した凝固リンパ球を加えた等張液は、細胞の成長を促す培養液、すなわち成長培地(Growth Medium)の初めての作製例でもありました。

今や「細胞培養の父」と呼ばれるハリソンの成功によって、「器官」ではなく「組織」・「細胞」であれば凝固リンパ球培地で数週間の安定的な培養が可能であることがわかると、ハリソンと同様の凝固リンパ球培地を用いた組織培養が世界各地でスタートしました。

1907年、フランスのジョリー(Justin Marie Jolly)はHanging-drop法を用いて、凝固リンパ球培地でトカゲの白血球を培養し、初めて培養下で細胞分裂を観察することに成功しました。

1910年、アメリカのバロウ(Montrose Thomas Burrows)は、同じ研究室のキャレル(Alexis Carrel)と協力してハリソンの組織培養法を改良し、鶏胚エキスや血漿を組織培養時の培地に添加することで、凝固リンパ球を用いた場合よりも組織の成長が促進されることを報告しました。彼らは、自ら改良を行ったこの培地を用いて、鶏胚から採取した細胞を培養し、細胞分裂を観察することに成功しました。

その後、血清を用いても、細胞を良好に培養できるということが明らかになってきます。(そのうち牛血清は現在の細胞・組織培養でも広く使われています)

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