造血幹細胞を体外で増幅、しくみの解明通じ着実に

須田 年生 氏
 慶應義塾大学医学部 坂口記念講座(発生・分化生物学)教授(2015年3月まで)
 Cancer Science Institute(CSI), National University of Singapore(NUS) 教授(2014年8月就任)
 熊本大学国際先端医学研究機構 機構長(2015年4月就任)

(インタビュー実施日:2014年6月9日)

須田年生 氏

  赤血球や白血球など、血液の細胞のもととなる幹細胞を造血幹細胞といいます。私たちは造血幹細胞がどのような条件のもとで幹細胞としての性質を保っているのか、造血幹細胞がいる周辺の微小な環境に注目して研究してきました。こうした微小環境のことを「幹細胞ニッチ」と呼んでいます。ニッチとはフランス語で「へこみ」「取り巻くもの」といった意味があります。日本では「ニッチ」というと「すき間」という印象が強いですけれども。

 白血病の治療などに用いられる骨髄移植は、骨髄液に含まれる造血幹細胞を患者さんの静脈から点滴する手法です。注入された造血幹細胞は、患者さんの血液とともに体をめぐって骨の内側にある骨髄に根付き、そこで血液の細胞をつくりつつ、幹細胞の状態のまま自己複製をしています。途中経路の心臓や腎臓で血液をつくったり、自己複製したりすることは決してありません。それは、幹細胞を幹細胞のままでいさせるための環境が、骨髄の中にあるからです。

 造血幹細胞ニッチの研究を通して、臨床応用の面でどんな成果が望めるか。それは、体の中で起きていることを試験管の中で再現し、体外で造血幹細胞を増やすことです。神経や皮膚など、幹細胞にはいくつか種類がありますが、造血幹細胞はそのなかでも最も古い、50年以上の研究の歴史があります。それでも、造血幹細胞を体外で増やすことはなかなか成功していないのです。

どうして体外での増幅が必要か。やはり50年以上前に始まった骨髄移植は、再生医療のさきがけといっていいと思いますが、骨髄の提供というのは本当に大変です。移植に必要な骨髄液の量は、患者さんの体格にもよりますがおおむね800CC前後といわれています。骨髄液はドナーの腰の骨などに針を刺して吸引しますが、一度の吸引で採取できる量は限られるので、左右の腸骨にそれぞれ50~100回くらい針を刺さないといけません。ドナーに対する安全性は近年高まっているとはいえ、やはり大きな負担であることに変わりはありません。造血幹細胞移植には赤ちゃんのへその緒の細胞を利用する臍帯血(さいたいけつ)移植もありますが、やはり、移植に用いるには量が足りないことが多いのです。わずかな量の造血幹細胞を体外で工場のようにして増やすことができれば、患者さんだけでなくドナーにとっても利点は大きい。

造血幹細胞を幹細胞のまま維持していくのにどんなしくみがあるのか。私たちは10年ほど前、「アンジオポエチン1」というたんぱく質が重要だということを科学誌に報告しました。分子のレベルで解明したのはおそらく世界初だと思います。このたんぱく質は、造血幹細胞がすんでいる骨の中にあって、造血幹細胞が分裂しないように働いています。分裂が進むと、赤血球や血小板などに分化していってしまうのです。それを防ぐアンジオポエチン1は幹細胞の「維持因子」と呼ばれています。こうした維持因子の存在はその後も報告されていて、いまでは10を超えるでしょう。ただ、造血幹細胞が自らを増やすために働く「増幅因子」については、その存在がまだはっきりしていません。取り組みはいろいろとありますが、体外で造血幹細胞を増やすことには世界のだれも成功していません。

 iPS細胞は無限に増やせるので、iPS細胞を増やして造血幹細胞にすればいいという考え方もあります。ただ、iPS細胞から造血幹細胞をつくる研究は、まだきちんとした形では成功しているとは言えません。iPS細胞から赤血球や血小板をつくる研究もずいぶん進展してきましたが、まだ完全な赤血球や血小板ができているとは言えないと思っています。また、治療に使うにはたくさんの細胞をつくらなければいけませんが、iPS細胞を活用した細胞の大量生産技術はまだまだ発展の途上にあります。

 じゃあ、造血幹細胞の体外増幅はいつできるのか。もうすぐできるかもしれないし、10年たっても無理かもしれないし、なんともいえません。それでも、血液がどのようにしてできるのかについて、ずいぶんたくさんのことが分かってきました。こうした基礎的な知識は、必ずしも世間的に華々しいものではないですが、メカニズムを解明することは科学の進歩に貢献するだけでなく、治療の安全性を高めるのにも役立ちます。

 造血幹細胞移植の対象は、いまは白血病などの患者さんらに限られています。でも、体外増幅技術によってドナーの負担を大きく減らすことができれば、活用の場面をもっと広げられるかもしれません。たとえば、固形がんの患者さんです。抗がん剤には白血球を減らしてしまう副作用をもつものが多く、そのために高齢の方などで抗がん剤治療をあきらめてしまう例が少なくありません。そうした方に骨髄移植をすることで、抗がん剤による白血球の減少を補うことができるようになるかもしれません。

 ニッチの研究を通して、がん転移のなぞにヒントを得たいとも考えています。がんはもともとある場所から離れたところに転移することがあり、たとえば、乳がんは骨や肺などによく転移します。やはりそうした場所には、乳がんの細胞がすみつきやすい環境があるのだと考えられています。がん転移が起こるような環境を突き止めて、そこ働きかけ、転移を防ぐことができるのではないか。安全で着実な医療の進歩をめざして、メカニズムの解明を一つひとつ積み重ねていくつもりです。

聞き手:朝日新聞記者/慶應義塾大学共同研究員 田村 建二

須田 年生 氏
1974年- 横浜市立大学医学部卒業
1974年- 神奈川県立こども医療センター・小児科・レジデント
1978年- 自治医科大学血液医学研究施設造血発生部門・助手
1982年- サウスカロライナ医科大学内科(小川真紀雄教授)留学・リサーチアソシエイト
1984年- 自治医科大学血液医学研究部施設造血発生部門・講師
1991年- 同血液学・助教授
1992年- 熊本大学医学部遺伝発生医学研究施設・分化制御部門・教授
2000年- 熊本大学発生医学研究センター・センター長
2000年- 同・器官形成部門 造血発生分野・教授
2002年- 慶應義塾大学・医学部・発生分化生物学講座・教授
2014年- Cancer Science Institute (CSI), National University of Singapore (NUS) 教授
2015年- 熊本大学国際先端医学研究機構 機構長

2015年6月26日更新
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